松下豊前守房利の供養塔
市指定史跡
(ふりがな) まつしたぶぜんのかみふさとしのくようとう
【文化財名】 松下豊前守房利の供養塔
【指定番号】 第3号
【種別】 記念物・史跡
【員数】 1基
【指定年月日】 昭和34年1月1日
【所在地】 放光院(上尾市上尾下)
【概要】
松下豊前守房利(まつしたぶぜんのかみふさとし)は、遠州浜松以来の家康の家臣松下安綱(やすつな)の五男で、寛永6(1629)年に家光に仕え廩米(りんまい)(幕府からの扶持米)200俵取りでした。寛永10年に幕府は旗本層強化のため、石高の加増と、廩米取りを地方知行(じかたちぎょう)とする改革(寛永の地方直し)を関東一円で実施しました。これにより松下房利の知行は、足立郡内の上尾下村、須カ谷村、門前村、加茂宮村などに400石余りとなりました(『武蔵田園簿』)。その後、房利は万治3(1660)年に後水尾院御所付(ごみずおいん)となり摂津国で500石を加増され、合わせて900石を知行しています。延宝4(1676)年71歳で没し、上尾下村の放光院(ほうこういん)に葬られました。上尾下村周辺の知行地は、明治維新まで代々受け継がれた。
指定の宝篋印塔(ほうきょういんとう)形の供養塔は、高さ2メートル余りで、安永4(1775)年に房利の百回忌に子孫の統筠(むねのり)によって建立されてたもので、「松光院殿百回忌塔」とも称されます。房利ら一族の墓は明治になり愛染院(あいぜんいん)(東京都新宿区)に移転しましたが、このとき、地元の要望により塔だけが残されたものといわれています。
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上尾市史
第九巻別編2 金石・文化財(平成11年3月31日)