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瓦葺掛樋跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月9日更新 ページID:0144528

市登録史跡

(ふりがな)   かわらぶきかけどいあと 
【文化財名】  瓦葺掛樋跡
【登録番号】  第43号
【種別】     記念物・史跡
【員数】     1
【登録年月日】 平成27年11月17日
【所在地】    上尾市大字瓦葺字堤外286番3
【概要】   

 見沼代用水路の開削工事は、享保12から13(1727から1728)年に行われた。それまで用水として利用されていた「見沼溜井」と呼ばれる貯水池が新田として開発されたことを受けて、見沼溜井に代わる用水を確保するために工事が開始された。「瓦葺掛樋」は、見沼代用水路の重要構造物のひとつで、瓦葺の地で、見沼代用水路と綾瀬川が立体的に交差できるように、綾瀬川の上に架けられた。当初は長さ24間(約44m)、幅8間(約14.5m)で、水路の底は板敷き、左右は土堤であった。 その後、土堤を廃し全部板囲いにするなど改修を繰り返し、天明7(1787)年には28間(約51m)に延長され、以後この規模で明治期まで続き、舟運にも利用されてきた。

 現在、現地に残されている煉瓦で構築された橋台・橋台翼壁・掛樋北翼壁は、明治41(1908)年に鉄製に改造されたものの一部である。橋脚には、上敷免村(深谷市)で作られた煉瓦が使用された。樋の寸法は、90尺(約27m)、幅は24尺7寸2分(約7m50cm)だった。しかし、設置から230年近い歳月の中で水路の変形や欠陥が甚大になり、流末地域の用水不足から昭和36年には伏越(ふせこし)に改変された。瓦葺掛樋跡は、見沼代用水路や明治時代の土木技術の歴史上、重要な文化財であるとともに、見沼代用水路の重要構造物の中で、唯一、明治時代の構造物が残る貴重な文化財である。 

上尾市文化財調査報告
第18集 瓦葺掛樋跡(昭和59年3月31日)
上尾市史
第八巻別編1地誌 第3章原市地区 第6節特記事項(平成9年3月31日)

瓦葺掛樋跡

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