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上尾の寺社 36 愛宕神社(堤崎) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新 ページID:0094023

珍しい「車地蔵」を安置し、7月は「堤崎の祭りばやし」でにぎわう

 「ぐるっとくん」を「堤崎」で下車し、北へ20メートルも歩くと信号のある交差点となる。左折して100メートルも行くと、右側に石造りの鳥居が見えてくる。ここが堤崎の愛宕(あたご)神社で、参道入り口の左側には「成田山」と記された小宮と、2基の庚申塔があり参詣者を迎えてくれる。庚申塔には、元禄5(1692)年・元禄8年と造立(ぞうりゅう)年が鮮やかに刻まれている。
 石造りの鳥居をくぐり本殿に参詣することになるが、境内地はヒノキ、ケヤキ、桜の大木に覆われており、春・夏には緑の神域となっている。江戸時代の堤崎地区は戸数23戸の小さな村であるが、村民持ちの三宇(う)の稲荷(いなり)社と熊野社があると記録されている。愛宕社は寺院の地蔵院持ちであるが、ここには勝軍(しょうぐん)地蔵が祭られ、この地蔵尊は加賀大聖寺(かがだいしょうじ)(石川県)の禅苗和尚(ぜんみょうおしょう)が刻んだものと伝えられている(『新編武蔵風土記稿』)。村持ちの神社などが合祀(ごうし)され愛宕神社になったのは明治になってからで、明治6(1873)年には村社に列せられている。『神社明細帳』によると、境内地は154坪、境内社として八雲(やくも)社と疱瘡(ほうそう)社がある。氏子は157戸とあるが、これは大変多い戸数で、近隣地区に氏子を抱えていたものとみられる(『上尾市史』第9巻)。
 本殿の西南隅に、市指定文化財である車地蔵が安置されている。石造で地蔵菩薩の下に車輪が取り付けられ、念仏を唱えながらこれを回すと、念仏車(ねんぶつぐるま)とも称されている。このような念仏車は全国各地に見られるが、石車を持つ石仏は市内には類例がなく大変貴重である。ところでこの車地蔵は、元は神社の東方の道路の敷地になったため、この境内地に移されたものである。石車の下段に「南、秋葉・与野道」、右側面に「西、川越・平方道」と刻まれているのは、元の安置場所を示していることになる。この車地蔵は、寛政4(1792)年造立で、弘化2(1845)年に再建されたと台座に刻まれている(『上尾の指定文化財』)。
 毎年7月に愛宕神社境内地を中心に上演される「堤崎の祭りばやし」も、市指定文化財である。隣接の木ノ下村(さいたま市)で創始された「木ノ下流祭り囃子(ばやし)」に、堤崎の吉沢菊次郎が形成したといわれる。近隣にも伝播(でんぱ)したほどの、特徴的な祭りばやしでもある(前掲書)。

「堤崎の祭りばやし」でにぎわう愛宕神社

車地蔵

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堤崎の祭りばやしへのリンク