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上尾の寺社 28 天神氷川八幡合社(藤波) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新 ページID:0094032

二つの市指定文化財が上演・奉納される天神・氷川・八幡社の合社

 「ぐるっとくん」を「藤波公民館」で下車すると、目の前に石造りの大鳥居がそびえ立ち、もうそこが目指す「天神社(天神氷川八幡合社)」である。石造りの大鳥居からの参道は両側に梅の木が植えられているが、30メートルほど歩くと朱塗りの大鳥居があり、ここには「天満宮」の扁額(へんがく)が掲げられている。50メートルほど先に拝殿が見えるが、ここは樹林に囲まれた広場になっている。拝殿の背後に本殿があるが、この神社は明治11(1878)年に火災に遭ったといわれ、建物はいずれも新しいものである。拝殿で参拝することになるが、右手の大木の下には浅間(せんげん)社などの三社の小祀(しょうし)も鎮座している(『上尾市史』(第9巻)。
 参拝して頭を過(よ)ぎるのは、「天神氷川八幡」とはずいぶんと長い神社名で、しかも「合社」の文字が付いていることである。明治末期に神社の合祀(ごうし)運動が盛んになるが、この神社は江戸時代から「合社」の名が付されている珍しいものである。江戸時代の神社名は「氷川天神八幡合社」で、後の「天神氷川八幡合社」と少し違って称されている。江戸時代の社名からみると、元来は氷川社が鎮守で後から天神、八幡の似2社が合祀されたようにも思えるが、明治以降天神社への崇敬が深くなり、「天神」の名が先に付されたともみられる。朱塗りの大鳥居の「天満宮」の扁額が、氏子たちの崇敬の意を表しているとみられる(『新編武蔵風土記稿』)。
 境内には氏子や信者たちにより、江戸時代に寄進された石灯籠(いしどうろう)や手水鉢(ちょうずばち)が多いが、ひときわ大きなものに地元俳人の句碑がある。戦後建立された新しいものであるが、この地は隣接の中分・領家・畔吉地区とともに江戸時代後期から俳諧が盛んな地域であり、俳諧をたしなむ伝統が戦後まで続いていたものとみられる(『上尾市史』第6巻)。
 藤波地区に伝承される「餅(もち)つき踊り」「ささら獅子舞」は市の指定文化財であり、この神社で上演される。「餅つき踊り」が指定文化財になっているのは藤波地区だけであるが、4人1組になって餅をつき、高度で複雑な動きの踊りを見せてくれる。毎年元日の午前0時に上演され、氏子や参拝客で大変なにぎわいを見せる。「ささら獅子舞」は畔吉地区とともに指定されているが、こちらは宰領とか猿若とか呼ばれる先導役がいる4人1組の舞で、その点が畔吉地区の舞と異なるといわれ、毎年9月25日前後の日曜日に上演されている。

天神氷川八幡合社

天神氷川八幡合社写真

拝殿と右奥に見えるのが三社の小祀

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藤波の餅つき踊りへのリンク

藤波のささら獅子舞へのリンク