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上尾の寺社 20 氷川神社(上) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新

広大な社叢林に囲まれた境内江戸から昭和まで神楽を上演

 「ぐるっとくん」を「しらこばと保育所前」で下車し、しらこばと団地の中を南へ100メートルほど歩くと、もう左手の住宅地越しに目指す氷川神社の社叢(しゃそう)が見えてくる。社叢西側の小道から神社に参拝することもできるが、正面からお参りするには、さらに南へ200メートル余りも迂回することになる。広大な社叢は県の「ふるさとの森」に指定されているが、境内地の南端は開けた空間域で、北に向かって樹間に本殿を臨むことができる。
 この氷川神社は旧上村の鎮守で、「上村の氷川様」として近隣でも名が知られている。ところが久保村須田家の明治2(1869)年の記録によると、上村、久保村、門前村、南村、桶川宿の5カ宿村の鎮守になっており、社叢の立ち木などを濫(みだ)りに切らないことを5カ宿村で議定している。この5カ宿村は近世初めに分村したものであるが、鎮守の変更はなかったことになる(『上尾市史』第3巻)。
 寛永7(1630)年の南村年貢割付状では、村名は「桶川南村」となっている。このことからみると、分村して間もなくは「桶川」の名を付していたとみられる(前掲書)。ところが石造の大鳥居をくぐり歩を進めると、右手に庚申塔(こうしんとう)があるのが目に付く。この庚申塔は正徳2(1712)年の建立であるが、ここには「桶川久保村」と刻まれている。分村されたとみられる近世初めから100年余もたっているのに「桶川」の名を村名に冠していたことになる。
 石造の大鳥居の右手にある天神社に参拝して本殿にお参りすることになるが、この天神社は久保村、門前村、南村の鎮守でもある(『新編武蔵風土記稿』)。鳥居脇には半分埋もれて目に付きにくいが、宝暦13(1763)年3カ村奉納の「力石」がある。これらのことからみると「上村の氷川様」と一般に称されているが、久保村、門前村、南村を含めた、村落連合の神社であったことを知ることができる。
 久保村須田家の安政6(1859)年日記の4月2日の項に「上村氷川様ニ而神楽有」と記されている。同社は昭和の戦後になっても神楽が奉納されたことで知られているが、この日記によるとすでに江戸時代から上演されていたことになる。広大な社叢林の中で、神楽という民衆芸能の灯が、長い時間をかけて育てられていたということになる(上尾市史調査報告書『久保村須田家日記』)。

氷川神社

氷川神社の境内

春、社叢を彩る見事な桜(中央奥に本殿がある)

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