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上尾の寺社 13 氷川神社(二ツ宮) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新

江戸期の職人芸を今に伝える本殿の彫刻

 「ぐるっとくん」を東町の「水上公園入口」で下車し、150メートルほど東へ歩くと芝川の「国体橋」に出会う。手前を左折して、芝川沿いに600メートルほど行くと、右手に「鎌倉橋」が見えてくる。道幅は狭いが、この橋に架かる道路は「鎌倉街道」と称され、市内でも名の知られた古街道の一つである。「鎌倉橋」を渡り150メートルも歩くと、もうそこは氷川神社の大鳥居である。
 二ツ宮の氷川神社は、江戸時代には上尾宿・上尾下村を含めた3村の鎮守で、氷川男体(なんたい)社・氷川女体(にょたい)社の2つの神社から成り立っていた。現在、女体社はないが「二ツ宮」の地名はこの氷川二社からきたといわれている。江戸時代の武蔵国で、氷川男体社と氷川女体社が併置された村は見られず、大変珍しい事例ということになる。氷川女体社では三室(みむろ)村(さいたま市)に鎮座する神社が知られているが、ここはかつては広大な見沼のほとりであったといわれる。もっとも武蔵一の宮と称される高鼻(たかはな)村(さいたま市)の氷川神社も、かつては見沼の入り江に所在していた。二ツ宮の氷川神社は、中世のころまでは広かった見沼の最北端部に位置しており、鎌倉橋に立つと自然と沼が取り持つ縁の深さを感じさせてくれる(『新編武蔵風土記稿』)。
 石造の大鳥居をくぐり参拝することになるが、本殿を囲む境内地はクスノキの大木もあり、住宅地の中にしては見事な社叢林(しゃそうりん)を形成している。拝殿は新しいものであるが、本殿は一間社(いっけんしゃ)流れ造りで、建築様式から江戸末期の建立といわれている。一間社流れ造りであるが側面は二間で、向拝(ごはい)は軒唐破風(のきからはふ)が設けられ、三手先(みてさき)の組物で立派なものである。表から見ることができないが、御神鏡台裏には「安政二乙卯孟春(きのとうもうしゅん)」(1855年正月)と記されているという(『上尾市史』第9巻)。
 本殿の彫刻は市指定の文化財になっているが、向拝や長押(なげし)には幾何文様の彫刻が、側壁には中国の故事に因む見事な彫刻が施されている。参観者には、左右側面と背面に説明板があるので、外側からゆっくりと江戸期の職人芸を堪能することができる。彫刻中には琴の名手や美女たちがあり、色彩も実に鮮やかである。作者は4人と推定され、日光東照宮造営に携わった工匠たちが、帰郷の途次に制作したという伝説もある。なお氷川女体社は、明治末年に上尾宿鍬神社に合祀(ごうし)されている(前掲書・『上尾の指定文化財』)。

氷川神社

氷川神社の本殿

見事な社叢林に囲まれた本殿

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