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上尾の古い地名を歩こう47 ~平方新田を訪ねる~  

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年1月28日更新 ページID:0050331

「ぐるっとくん」を上野北で下車し、百三十メートル余り西下すると、信号のある県道交差点となる。右折して二百五十メートルも北上すると、今度は細い東西道路が交わる信号のある交差点となる。左折して西方を目指して進むが、大通りから一歩内側に入ると、農地と屋敷森のある家が点在している情景に出合う。この辺りは旧平方町の新田地域で、小字(こあざ)は「太夫(たいふ)」である。太夫の北に小字の「在家」(ざいけ)があり、西南は「石井戸」、西北は「小塚(おつか)・丸山」である(『武蔵国郡村誌』)。

江戸初期の平方村は村高(むらだか)七百四石余りの大村である。その中に平方新田も含まれており、独立して一村を成していたわけではない。しかし川越道に面した地域が、宿継場(しゅくつぎば)・河岸場という街村の性格を持っていたのに対し、太夫・小塚などのこの辺りは、農業主体の村柄を呈していたとみられる。平方新田がやや独立した地域を構成していたのは、このような村柄に基づくと推定される(前掲書)。

大通りの交差点から二百メートルも歩くと、道は二つに分かれる。右手の道を西下するが、この辺りも屋敷森のある家が点在している。三差路から三百メートルも歩くと、右手に平方新田集落センターが見えてくる。ここは江戸時代の神明(しんめい)寺の跡地で、明治初期に廃寺になった所である。同寺は村民の開基と伝えられ、開基の村民は寛文六(一六六六)年に亡くなったといわれる。集落センターからさらに西下すると、広い道路に交差する。この道路は主要地方道さいたま・鴻巣線で、平方と桶川方面をつなぐ道路である。(前掲書・『新編武蔵風土記稿』)。

主要地方道を五十メートルほど南下し、細い道路を右折して西へ向かって進む。五百メートルも歩くと南北の道路に遭遇するが、右折して今度は北上する。七十メートルも歩くと、広い東西道路の交差点となるが、ここは「丸山公園入口」の交差点である。左折して二百メートルも歩くと、荒川土手の北端に位置する小塚の集落となる(『上尾市地形図』)。

小塚には浅間塚(せんげんづか)があり、市指定の文化財になっている。塚の高さは約四・六メートル、頂上には文化十三(一八一六)年の石祠(せきし)がある。明治期の富士登山講中の記念碑もあり、幕末から明治へと浅間信仰の盛んな様子を伝えてくれる。毎年七月一日には初山(はつやま)行事も行われ、今でも赤ちゃん連れの参拝者で大変なにぎわいをみせている(『上尾の指定文化財』)。

(元埼玉県立博物館長・黒須茂)

神明寺跡地の平方新田集落センター 地図