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上尾の古い地名を歩こう32 ~江戸素麺問屋との取引村を歩く(壱丁目)~  

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年6月28日更新

 「ぐるっとくん」を「こどもの城」で下車し、百メートルほど南下すると市民体育館通りとなる。右折して西下するが、道路に沿った北側に製薬会社の広大な運動場があり、この辺りは旧壱丁目村の小字「上原(かみはら)」である。明治初年の資料によると壱丁目の小字は七つで、上原はその中の一つである。またその資料には村の北方に二十四町歩(約二十四ヘクタール)余りの山林があり、この広大な山林の中に上原は含まれていたとみられる。同村は村の東南方にも五町歩余りの山林があるので、上尾市域の中でも山林の多い村であったことになる(『武蔵国郡村誌』)。

 市民体育館通りを三百五十メートルほど歩くと、新設の国道17号(上尾道路)と交差する。左折して国道の側道を四十メートルも歩くと、左手に新築した社が見える。これが「見世棚造(みせだなづくり)」と「赤子の床下くぐり」で知られた、壱丁目村の愛宕神社である。上尾道路の開通に伴い、かつての広大な境内地と鎮守の杜は失われ、神社の建物が新築され境内地も整備されているので、昔日の面影をしのぶことはできない。ここでは新しい社に参拝し、集められている石造物などを拝観することとする(『愛宕神社(壱丁目)調査報告書』)。

 愛宕神社前の賛同を東へ七十メートルも歩くと、地区を南北に縦断する道路に出合う。この道路を右折して三十メートルも歩くと、地区公民館の愛宕開館と三光堂が左手に見える。上尾道路の開通で拭くる~の南北縦断道は明治初期には、「鴻巣より大宮への通路」と記されているものである。そして江戸末期資料で、「小名宿次(こなしゅくみ)、昔松山ヨリノ馬次(継)アリシ(継)所」と記された所と同一ともみられる。現在では大変細い一筋の道路であるが、古くから所在した歴史のある道路ということになろうか(前掲書・『新編武蔵風土記稿』)

 壱丁目地区は、江戸時代に手広く素麺(そうめん)を取引した在郷商人の居住地として知られる。近世の埼玉県域でも小川町が素麺産地として知られているが、上尾市域で取り扱い商人がいたことは大変珍しいことである。取り扱いの在郷商人は堀江氏であるが、天保十(一八三九)年から翌年にわたる平方河岸から江戸への積み出し記録を残している。取引相手は江戸の素麺問屋で、素麺の商品銘柄や積み出し数も数も明確に記されている。素麺の産地は不明であるが、他医療と取引をしていた在郷商人が活躍していたことが注目される(『壱丁目村文書』)。
(元埼玉県立博物館長・黒須茂)
鳥居越しに本殿を望む(愛宕神社) 上尾の古い地名を歩こう32地図