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上尾の寺社 27 龍真寺(菅谷) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新 ページID:0094033

密教の影響下に生まれた少ない造例の釈迦如来を本尊とする

 「ぐるっとくん」を「出荷所前」で下車し、東へ50メートルも南へ歩くと信号のある交差点に差し掛かる。なおも東へ200メートルほど歩くと、住宅地が途切れ開けた景観となり、右前方に目指す龍真寺(りゅうしんじ)本堂の大屋根が見えてくる。100メートルほど歩いて、龍真寺の境内地西北端の入り口に達する。入口では「身代わり地蔵尊」が参拝者を迎えてくれる。
 龍真寺は曹洞宗の寺院で、菅谷山と号し、開山の喜翁悦(きおうえつ)は永禄7(1564)年2月8日に没しているので、それ以前に創設されたことになる。喜翁悦は上瓦葺の楞厳寺(りょうごんじ)の開山でもあり、当時この地域で活躍した僧であったとみられる(『新編武蔵風土記稿』)。
 寺院の入口から50メートルも歩くと、右手に十王堂(じゅうおうどう)がある。お堂の正面はガラス戸になっているので、堂内に安置されている閻魔(えんま)大王、十王、奪衣婆(だつえば)、地蔵菩薩像などを拝観することができる。お堂の正面に説明板があるが、それによると閻魔大王や十王は死後の人々を裁き、その期間は初七日から三周忌までで、これによって来世の生所が定まるという。大変怖い閻魔大王や王たちということになるが、像はいずれも小さく素朴な面像で、江戸前期の作風を伝えている(『上尾市史』第9巻)。
 十王堂の拝観を終えて本堂に参拝することになるが、本堂は10年ほど前に立て替えられたものである。客殿などを含めて堂々たる新建物群となっているが、『寺院・堂庵明細帳』によると古い本堂は間口7間2尺・奥行き5間3尺、庫裏(くり)は間口8間・奥行き3間3尺と、当時としては大きな建物であり、境内は738坪と記されている(前掲書)。
 龍真寺の本尊は釈迦(しゃか)如来(にょらい)であり、脇侍(きょうじ)は文殊(もんじゅ)菩薩と普賢(ふげん)菩薩で、この三尊像は市の指定文化財になっている。本堂前に立てられている指定文化財の案内板によると、三尊ともヒノキ材の寄せ木造りである。釈迦如来座像は像高34.5センチメートルで、密教の影響下に生まれた宝冠(ほうかん)を頭上にいただいた姿で、比較的少ない造例といわれている。脇侍の文殊・普賢の両菩薩座像とも釈迦如来より小さく、像高はそれぞれ16センチメートル余りである(前掲書)。
 この三尊像で注目されることは奉納者が明確なことで、文殊菩薩の背部と光背裏に墨書銘が残されている。それによると享保3(1718)年10月25日、檀家の北川利右衛門が亡妻の菩提と自らの来世の供養のために奉納したと記されている(前掲書)。

龍真寺

龍真寺写真

釈迦三尊座像が安置してある本堂。中尊は宝冠釈迦という市内で唯一のものである

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