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上尾の寺社 18 八合神社(小泉) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新

武蔵野の森に抱かれた静寂な空間を今に残す

 「ぐるっとくん」を「中分」で下車し、100メートルほど南へ歩くと、信号のある交差点に出会う。左折して50メートルほど行き、狭い道路を右折すると住宅街の300から400メートル先にこんもりとした森が見えてくる。この森が目指す八合(やごう)神社である。
 八合神社への入り口付近は住宅が密集し、区画整理による道路工事も行われているが、石造の大鳥居をくぐり社殿に近付くと、一転して静寂空間である。杉、カシなどの大木に囲まれた社殿に参拝することになるが、背後には広大な平地林が控えており、今では珍しくなった武蔵野の林相を見せてくれる。神社に至る道路の両側に広がる住宅密集地域とは対照的な景観ということになろうか。
 それにしても「八合」とは大変珍しい神社名で、近隣でも見られない社号である。この名称については、大鳥居脇に大正10(1921)年に建立された「村社八合神社記」という石碑に、その由来が刻まれている。これには、明治末年、大石村の8つの大字の神社が合祀(ごうし)されたので付されたとある。当時は神社の合祀運動が盛んになり、内務省は一町村一社を基準に合祀することを推進し、埼玉県もこれに従い神社の合祀を進めている。ところが政府や県の強力な合祀運動に対し、地元の氏子たちは必ずしもすんなりと同調しなかったようである。何分にも江戸時代以来長い間守ってきた神社であり、地域に強力な氏子集団が培われていたためである。氏子たちは、村社が一社となり、江戸時代以来の旧村から神社がなくなることを嫌ったことになる。政府・県の強力な指導にも関わらず、市域でも当時の原市町組合では合祀は行われず、大谷村では計画はあったが実際には合祀は行われていない。この事例からも、一町村一社は実現しなかったことになるが、「八合」の名も大石村の全大字(旧村)が合祀しなかったことを示している。大石村は10の大字から成るが、藤波・畔吉地区の神社はこのとき合祀されなかったのである(『上尾百年史』)。
 八合神社の境内地は、元は小泉村の鎮守である氷川社の地である。合祀の願書は明治40(1907)年4月に出され、この年に認可されているが、8つの大字の神社の64社が合祀されたと記録されている。それにしても多くの神社があったものであるが、合祀に至るまでの氏子たちの苦労はさぞかし大変だったであろうと思われる。

八合神社

八合神社の境内

武蔵野の面影がしのばれる神社境内

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