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上尾の寺社 15 徳星寺(畔吉) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新

大カヤと暖帯林に抱かれた古刹

 「ぐるっとくん」を「領家南」で下車し、南西へ400メートルほど歩くと、左手にモウソウチクなどの大叢林(そうりん)と寺院の山門が見えてくる。この寺院が徳星寺(とくしょうじ)であるが、正面から参詣するため、もう少し歩いて荒川の堤防のたもとに立つことになる。ここからの眺めは壮観で、台地の溺(おぼ)れ谷を前面にした大寺の威容が一望できる。山門をくぐり参拝することになるが、本堂は現在(平成17年8月末)新築中で、木の香りも新しい大伽藍(だいがらん)が叢林中に屹立(きつりつ)している。
 徳星寺は東高野山(ひがしこうやさん)遍明院(へんみょういん)と号する天台宗の古刹(こさつ)であるが、県指定の天然記念物になっている「大カヤおよび暖帯林」と市内最古の古文書が所在することで知られている。大カヤは本堂東側の塚上に自生しているが、すでに江戸時代後期の記録にも「囲ミ四抱ホド、高サ三丈許(ばかり)、枝ノヒロゴリタル所ハ八間余アリ」と記されている。そして「弘法大師当寺ヲ開キシ頃、手ヅカラ植シモノナリト云」と、その伝承まで記している。「弘法大師お手植え」の当否はともかく、現在樹齢700から800年以上と推定されている。大カヤ周辺の林叢(りんそう)の植生は、ウラシマソウ、イタドリなどの草木、アオキ、ムクノキ、カヤの幼樹、ケヤキ、モウソウチクなど暖帯林の自然の様相を見せてくれる(『新編武蔵風土記稿』『上尾の指定文化財』)。
 徳星寺は山号でも明らかなように、元は真言宗の寺院で、空海が創設したという伝承まである。ところが永禄6(1563)年、それまで天台宗の寺院であった小室郷別所村(現伊奈町)の法光寺と入れ替わりとなり、徳星寺が天台宗に、法光寺が真言宗となっている。宗派が改められた詳細な理由は不明であるが、大変珍しい事例ということになる。ただ宗派入れ替わりのこの時代は、上杉方の岩付(いわつき)太田氏と小田原北条氏が激しく争っており、この地域が騒乱の地であったことが遠因ともみられる(『上尾市史』第9巻)。
 上尾市最古の文書は、天正17(1589)年8月、岩付の太田氏房(うじふさ)が井原土佐守(とさのかみ)に出した印判状(いんぱんじょう)で、徳星寺門前の諸役を免除し、みだりに寺に侵入することを禁じている。井原土佐守は、この地域を支配する土豪である。また江戸時代には、寺領3石を将軍から与えられているが、天正19(1591)年11月の徳川家康の朱印状(しゅいんじょう)は市内唯一のものである。寺領朱印状は12点所蔵され、太田氏房印判状とともに市指定の文化財になっている(『新編埼玉県史 資料編6』・『上尾の指定文化財』)

徳星寺

徳星寺本殿の写真

見事な社叢林に囲まれた本殿

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