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上尾の寺社 14 密蔵院(平塚) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新 ページID:0094047

市内最古、平安後期制作の日光・月光菩薩立像を安置

 「ぐるっとくん」を「中平塚」で下車し、県道を200メートルほど南へ歩くと、左側に密蔵院(みつぞういん)の重厚な山門が見えてくる。山門をくぐり本堂に参拝することになるが、左手には昭和八年の改築ではあるが、薬師堂(やくしどう)が建てられている。このお堂に、上尾市最古の「日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)」などが安置されている。
 密蔵院は新義真言宗智山派(しんぎしんごんしゅうちざんは)の寺院で、その創設や由緒などは不詳である。本堂は30年余り前に改築されているが、それ以前の建物は間口9間(約16.2メートル)・奥行き6間半、草ぶき屋根の堂々たるものであった。本尊は虚空蔵(こくうぞう)菩薩であり、市内では例のない珍しい本尊ということになる(『新編武蔵風土記稿』・『上尾市史』第9巻)。
 薬師堂に蔵されている仏像群のうち、本尊の薬師如来(やくしにょらい)座像は江戸時代に制作されたものであるが、日光菩薩立像・月光(がっこう)菩薩立像は平安後期に制作されたもので、市内に所在する仏像の中では最も古いものである。日光菩薩立像は、像高106.7センチメートル、カヤ材の一木造りで、頭部はやや大きめであるが、細身で線の強い体躯(たいく)など平安初期の特徴を受け継いでいるといわれる。制作時期は11世紀ごろと考えられ、地方仏師の作とみられるが、台座・光背は江戸時代のものである。月光菩薩立像は像高102.5センチメートル、ヒノキ材の寄せ木造りで、流麗な衣文(えもん)の表現など定朝様(じょうちょうよう)が明りょうで、12世紀の地方仏師の制作とみられている(『上尾市史』第9巻・『上尾の指定文化財』)。
 両像ともに、安永4から5(1775から6)年に中平塚村の安藤順佐・江戸加賀屋敷内藤与左衛門を施主として、修理が施されたことが墨書されている。また、安藤順佐の子孫と思われる地元の安藤家に『日光月光菩薩付十二神之来由』という古文書が残されている。この古文書によると、両菩薩と後述の十二神将(しんしょう)は、磐城国(いわきのくに)平藩(たいらはん)(現いわき市)の内藤家の持仏(じぶつ)であったが、延享4(1747)年に日向国(ひゅうがのくに)延岡(現延岡市)へ転封(てんぽう)の際、度々の夢のお告げにより、密蔵院に納められたという。密蔵院と平藩主内藤家の関係など不明な点も多いが、これらの仏像群は他所で作られ、後年移されたことになる(前掲書)。
 両菩薩と十二神将立像は市の指定文化財になっている。後者は延宝7(1679)年から貞享元(1684)年の作であるが、作者は京の仏師たちで、寄せ木造りで躍動感のあふれる仏像群である(前掲書)。

密蔵院

密蔵院本堂の写真

虚空蔵菩薩を本尊とする密蔵院の本堂

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