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学校の沿革・開校当時の西中学校

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年9月25日更新 ページID:0127548

西中学校沿革

開校当時の西中学校の様子

◆令和2年度、西中学校は、創立50年目。5月20日の開校記念日を迎え、50年目の歩みをスタートさせました。

仮校舎で開校

〇西中学校は、昭和46年(1971年)4月、上尾市の急激な発展に伴い人口も増加し、「西側にもう一つ中学校を」の声が高まり、「今泉」の地に市内6番目の中学校として創立されました。近代的なモデル校としての校舎の完成は、5月中旬であったため、はじめは上尾中学校の鉄筋3階建て、12教室を仮校舎として開校しました。

新校舎の完成

〇昭和46年5月20日、新校舎落成に伴い移転し、本格的な教育活動が展開されました。新校舎には、普通教室12、特別教室6、管理室(校長室、事務室、職員室、保健室)があり、移転したこの日こそ、実質上の学校誕生の日、記念すべき日であることから、5月20日をもって、本校の開校記念日と定めました。

校章の制定

〇職員も生徒も自分たちの中学校づくりに情熱を燃やす中、ぜひ西中のシンボルマークをという声が高まり、職員・生徒・学区内の市民に呼び掛けたところ、100点を超える応募作品が集まりました。審査・選考を重ね、現在のシンボルマーク(市民の方の作品)に決定しました。

〇校章の図案は、上尾市のマークをアレンジして左右両側に翼型とて配し、その上に「西中」の未来への発展を象徴したものとして作成されました。

標準服の制定

〇開校以来、各々自由な制服で通学していましたが、標準服を求める要望が多くあがり、アンケート調査等を実施し、標準服を制定しました。2・3年生は、上尾中、大石中、太平中より転入してきたので、従前の制服を着用することにし、1年生は、男子が黒い詰襟の学生服上下、女子は、ダブルのブレザー・プリーツスカートとなりました。昭和46年9月6日から着用となりました。

〇その後、男子の標準服について、様々な意見があがり、検討の結果、昭和51年12月6日に新たに濃紺のブレザー(3つボタン)上下、ネクタイ着用(エンジ色)が制定され、翌年の昭和52年度新入生から着用となりました。

校旗・校歌の制定

〇校旗、校歌は、その学校の象徴といわれていますが、創立以来3年間、校旗・校歌が未定のまま時が流れました。昭和49年1月、設定準備委員会を発足し、検討を重ねてきました。その結果、昭和50年3月11日の発表会をもって、校旗、校歌が設定されました。校旗の色は、スクールカラーのエンジ色が採用されました。

南校舎の完成、南校舎の増築

〇開校当時は、11学級だった生徒数も、3年の間に16学級とふくれあがり、西中の周辺は目覚ましい発展を遂げていました。昭和49年4月5日に前年から着工していた南校舎鉄筋3階建てが完成しました。

〇さらに、昭和51年度には、800名を超える生徒数となり、再び教室不足となりました。そのため、昭和50年9月から南校舎西側に校舎の増築工事が始まり、翌年、昭和51年3月31日に完成しました。新年度から南校舎の延長部分に増築された3階建て9教室の使用を始めました。

上尾市福祉会館(現文化センター)で卒業式

〇昭和53年度には、ついに生徒数が1000名を超す大所帯となり、それまで本校体育館で行われていた卒業式も、全学年生徒の参加が不可能となり、上尾市福祉会館を借りて生徒全員で卒業生の新しい出発を祝いました。この年の4月、大谷本郷に上尾市立南中学校が新設されたので、1000名規模最後の卒業式となりました。

 

◆この内容は、上尾市立西中学校10周年記念『西中 10年のあゆみ』より引用、加筆しました。


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