ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織でさがす > 広報広聴課 > 上尾歴史散歩312 市域道路の整備

上尾歴史散歩312 市域道路の整備

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年2月28日更新

市域道路の整備

 写真1 中山道の改修工事の様子(昭和32年8月) 写真2 開通した国道17号(上尾市役所前交差点)

 写真1 中山道の改修工事の様子        写真2 開通した国道17号(上尾市役所前交差点)

 中山道をはじめとして、人々が古くから往来してきた道は、明治時代になると馬車や人力車、荷車が通行するようになり、さらには明治30年代の自動車の登場によって路面の破損が目立つようになった。中山道は、鉄道と並んで東京と群馬・長野を結ぶ重要な交通路であったものの、大半が砂利道のまま舗装されず、江戸時代からの道路幅を引き継いでおり、自動車による近代の交通手段には十分ではなく、補修が必要であった(写真1)。また、戦後には県内に駐留した米軍の大型車両の通行が増え、道路の破損がより激しくなるとともに、物資輸送のトラックや観光バスが増加し、慢性的な渋滞が発生するようになった。
こうした中山道の渋滞を回避するため、戦前にさいたま市大宮区大成町付近まで開通していた国道17号につなげて、大宮鴻巣間に大宮バイパスが建設され、昭和37(1962)年に開通した(写真2)。また、東京に接する埼玉、千葉、神奈川などでも以前から渋滞が多発しており、これを緩和するために、昭和28(1953)年に東京の外周約30キロメートルにある既存道路をつないで、国道16号とした。
しかし、国道16号は構造が脆弱であり幅員が狭く、依然として渋滞が発生していた。そのため、岩槻春日部、春日部野田などのバイパスや、上尾市瓦葺を通ってさいたま市北区吉野町で国道17号に合流する東大宮バイパスが建設され、昭和56(1981)年に開通した。現在、国道16号の旧道の一部は、主要地方道2号さいたま春日部線として利用されている。
また、市域を通る県道についても、国道整備と平行して徐々に施行されることとなった。主要地方道35号川口上尾線、いわゆる産業道路は、戦前から産業開発のために、東京都王子から川口・浦和・大宮間を通る道路として計画され、建設が開始された。途中、戦中の資材不足などにより浦和以北は未整備であったが、中山道と国道17号のバイパス機能を担うために、昭和27(1952)年頃から工事が再開され、昭和37年に上尾市日の出まで開通し、国道17号と合流した。主要地方道51号川越上尾線は、古くから川越と上尾を結ぶ主要道であり、以前は踏切を通過していたが、高崎線の列車本数や車両の増加によって徐々に渋滞が激しくなったため、国道17号から立体交差を通って川越街道に入る道路が整備された。この工事は埼玉県が立案した県道の全面舗装計画によるもので、昭和42(1967)年に行われた埼玉国体を機に実施され、多くの県道が整備された。 (上尾市生涯学習課)

主な道路地図

 

 

コラム 現在に残る古道

 現在利用されている道のうち、市域には古くから同じ道筋を通っていたものが幾つか確認されている。
中世にまでさかのぼる鎌倉街道は、鎌倉時代に日本各地と幕府のある鎌倉を結ぶために整備された道である。市域を通る鎌倉街道は、所沢市内で上道から分かれて志木市内を通り、羽根倉橋付近からさいたま市南区別所を通過して上尾市西宮下に入る道で、羽根倉道と呼ばれている。現在は、国道17号愛宕交差点北部から、二ツ宮へ至る道が残されており、芝川に架かる橋はこの道にちなんで鎌倉橋と名付けられている(写真3)。
江戸時代以降に記録がある道は、中山道を初め、川越街道、菖蒲往還、秋葉道、桶川新道、原市新道などがあり、多くが現在の県道として利用されている。これらの沿線に残されている路傍の石造物には、方角や行き先、距離などが記されているものもあり、人々がこれを目安に通行していたことが分かる。

写真3 鎌倉橋

写真3 鎌倉橋