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(上尾歴史散歩)谷津観音と御開帳

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年2月4日更新

谷津観音と御開帳

 谷津観音は、JR上尾駅西口の南西約200メートルに位置する谷津地区のお堂で、本尊である木彫十一面観音菩薩立像が安置されている(写真1)。この像は秘仏とされ、普段は厨子に納められているが、12年に一度、午年の4月初旬に御開帳が行われ、その際には厨子が開かれて姿を拝むことができる。また谷津観音は、安産や子育てに霊験があるとされ、毎月10日の縁日においても参拝者があり、特に8月の縁日は盛大に行われている。
 江戸時代後期に編さんされた『新編武蔵風土記稿』によると、このお堂は、新義真言宗の福寿山皆応寺に所属し「観音堂 十一面観音を安ず、足立郡三十三番札所の内にて、第二十六番なり」とある。皆応寺は明治五(1872)年に廃寺となったが、観音堂は札所として存続した。なお、足立郡三十三番札所とは、元禄十五(1702)年に知足院(桶川市)の盛典が坂東三十三箇所霊場を模して開設した「足立坂東三十三箇所観音霊場」のことである。霊場の範囲は、桶川市、さいたま市、上尾市、伊奈町、北本市、鴻巣市、菖蒲町(現久喜市)に及ぶ。
 札所では、谷津観音と同様に午年の4月を中心に御開帳が行われている。寺や堂によっては、境内に角塔婆を立て、観音様の手から角塔婆に五色の布を結ぶ。
 谷津観音の本尊である十一面観音菩薩は、数多くある観音の種類の一つであり、11の仏面をあらゆる方向に向けて人々を救済する観音の力を象徴する。像の高さは72・4センチメートルであり、桧の板材を一木造で仕上げた珍しい造りである。眼は彫眼で、頭上正面に仏面を置き、その周りに変化面を10面、葡萄の房のように配している。この像は板材であるため、全ての面が正面を向いているのが特徴である。背面材の表と後頭部材の内側に墨書銘があり、延享四(1432)年3月3日に旦那(檀家)の明賢と家吉や大工の慶蔵などが中心となって修理されたことが分かる。この年号は、市内で銘の確認された仏像としては最古である。
 また、実際に像が造られた年代は、顔や体の表現などから南北朝時代(1336から92年)と考えられている。
(上尾市生涯学習課)

 

谷津観音堂の木彫十一面観音菩薩立像
写真1 谷津観音堂の木彫十一面観音菩薩立像

地図

 

コラム 上尾の札所巡礼

 上尾市内には、足立坂東三十三箇所観音霊場の他に、新秩父三十四箇所観音霊場と薬師坂東三十二箇所観音霊場が知られている。
 新秩父三十四箇所観音霊場は、享保8(1713)年に弁財村の井上五郎右衛門が発願して定めた札所である。この札所は、新西国と足立坂東がすでに開設されていたのに対し、秩父が未開発だったために開設されたといわれている。五郎右衛門が記した『新秩父縁起』によると、埼玉郡を中心にした「新西国三十三箇所」、盛典による「新坂東三十三箇所」とあわせて「百霊場」として、熊野の「百番札所」をなぞらえている。
 薬師坂東三十二箇所観音霊場は、『薬師坂東霊場記』によると嘉永7(1854)年に上尾村の小川長次郎が発願した霊場で、寺院の本尊や境内の薬師を巡る札所である(写真2)。12年に一度、寅年の彼岸の時期に御開帳が行われる。
 いずれも札所の範囲は、さいたま市、上尾市、桶川市、伊奈町に渡り、薬師坂東霊場は蓮田市も含まれている。このように身近の寺院や堂で札所巡りが開設されたことは、仏教信仰の広まりと共に寺社の周遊が日常的に行われていたことを示している。

古跡薬師の標石

写真2 古跡薬師の標石密蔵院(平塚)が薬師坂東観音霊場の一番であることが刻まれている。