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上尾歴史散歩325 上尾市誕生! ~昭和30年代の上尾~

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月27日更新

上尾市誕生! ~昭和30年代の上尾~

 昭和33年7月15日に市制施行した上尾市は、ことし市制施行60周年を迎えます。平成30年4月号から平成31年3月号までの上尾歴史散歩は、昭和30年代当時の広報誌『上尾自治だより』から、当時の出来事やその背景などを探ります。

 

 昭和30(1955)年1月1日。上尾・平方・原市・上平・大石・大谷の6カ町村が合併し、上尾町が成立した。その後、昭和33(1958)年4月5日付で地方自治法が一部改正され、「町」から「市」となる要件のうち、人口「5万人以上」が「3万人以上」に緩和された。当時、最新の国勢調査(昭和30年10月1日)による人口は3万5千480人。昭和33年4月1日付の人口は3万6千920人で、確実に人口要件は満たしていた。
 上尾町では、同年5月2日に臨時町議会で「市制施行審議会条例」を可決。各地区での説明会の開催、国・県との協議などを経て、6月10日の定例町議会で申請が決定。6月21日に県議会で市制施行が承認された。法律の改正から市制施行の申請決定まで、わずか2カ月と5日間。この速さには理由があり、人口3万人の要件以外に「昭和33年9月30日までに申請されること」が条件となっていたためである。
 昭和33年7月15日、市制施行。晴れて新生・上尾市が誕生した。「市」としては、全国で513番目、埼玉県で19番目であった。祝賀行事は、前々日の7月13日から始まった。
 『上尾自治だより』第40号(写真1)によると、7月13日は、上尾市商工会主催の「花自動車68台、単車70台」による祝賀行進が行われた。「花自動車」は、オート三輪などの荷台に、思い思いの飾り付けをしたもので、中山道をはじめ各地区を回って、祝賀気分を盛り上げたという。そして、14日は神輿の一斉渡御が行われた。中山道沿いの上町・宮本町・仲町・愛宕と、中山道の東に広がる本町、上尾駅西口の柏座・谷津の7町内が参加。祝賀行事は、恒例の夏祭りに合わせて実施され、悪疫退散や五穀豊穣を願う一方、この年は市制施行を祝う祭典となった。
 「あの頃の広報」にあるように、『上尾自治だより』には15日に挙行された市制施行を祝う式典を中心に、市制施行時の様子が克明に記録されている。式典会場の文化会館は、現在の市役所敷地内に新築された建物で、その後公民館や図書館としても利用された。また、来賓の自治庁長官(代理)は、当時の新聞によると黒金泰美(くろがねやすみ)自治政務次官で、この他栗原浩埼玉県知事、松永東(とう)代議士、福永健司代議士らが式典に参加した。また、陸上自衛隊音楽隊を中心にした祝賀パレードも行われている(写真2)。15日の午後の行事としては、4町内の山車(だし)の中山道渡御が紹介されている。このうち3町内の山車は、現在の上尾夏まつりでも登場している。
 さまざまな祝賀行事が開催される中、「上尾市」の新たな歴史が幕を明けた。

(上尾市歴史民俗研究会)

 

 『上尾自治だより』第40号            市制施行祝賀パレード           

 写真1 『上尾自治だより』第40号に掲載された          写真2 市制施行祝賀パレード

 市制施行を伝える記事

 

あの頃の広報 

 『上尾自治だより』第40号(昭和33年7月31日)=写真1=より抜粋

上尾市発足 市内全域祝賀一色に

 十五日、この日を期して新生上尾市誕生。この日を祝う式典が文化会館において午前十時から行われました。
 式場には、本県知事、自治庁長官(代理)、関係衆参両議員のほか、近隣市町村長、各層代表者ら五百余人が臨席、市制施行の祝典が挙行されました。
 一方、この日上尾市発足を祝う旗行列が管内小、中、高校生徒によって各地域ごとに行われ、上尾地区においては小、中、高校生徒の旗行列が陸上自衛隊音楽隊を先頭に約一時間にわたり行われ、市内を行進、式場に至って万歳をとなえるなど、まさに上尾始まって以来の盛事でした。
 また、空からは市制を祝すカードが新聞社のヘリコプターと飛行機によってまかれる等全町市制祝賀一色にぬりつぶされた感があり午後は四町内の山車(だし)の中仙道渡御や演芸が行われ、市内は見物人や市制を祝賀する人々の波で夜おそくまでにぎわいました。