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上尾歴史散歩305 上尾市域の誕生 新上尾町の誕生

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年7月27日更新

上尾市域の誕生 新上尾町の誕生 

 江戸時代45あった町村は、明治21(1888)年の合併で上尾町・平方村・大石村・上平村・大谷村・原市町外一カ村組合(原市町・瓦葺村)となった(平成28年『広報あげお』7月号35ページ参照)。この時、小学校や土木関係の経費問題などで組合村となった原市町と瓦葺村は、大正2(1913)年に合併し、原市町となった。また、昭和3(1928)年には、平方村が町制を施行し、平方町となった。この時の平方村は、戸数550戸、人口3、401人で、上尾市域では大石村、上尾町についで3番目に人口が多く、荒川舟運の物資集散地であり、上尾町と川越市を結ぶ陸上交通の要衝として大変栄えていたため、商取引上や郵便物の取り扱い上の便ではかることから、町制が施行されたという。
 市域がこのような体制で戦後を迎えた中、昭和28(1953)年10月1日に町村合併促進法が施行された。相次ぐ災害や不況などを、行政区域の統合によって乗り切ろうとしたのである。この合併は3年間で町村の数を3分の1に減らすことを目標に、標準的な人口規模を8、400人として、多くの特例処置や計画などをもって推進された。同10月6日、埼玉県町村合併審議会が設置され、翌年2月26日に町村合併計画試案が発表された。ここではじめて上尾・桶川・原市・平方・伊奈・大石・大谷・加納(現桶川市)・上平・川田谷(現桶川市)の4町6カ村の合併計画が明らかにされた。そして昭和29(1954)年5月3日、上尾桶川地区町村合併研究会が結成されたのである。研究会による協議が繰り返され、さまざまな紆余曲折を経て、昭和30(1955)年1月1日に、上尾・原市・平方・大石・大谷・上平が合併し、ついに新上尾町(写真1)となり、ほぼ現在の市域の枠組みが成立した。また同日に合併した桶川町と加納村に、遅れて住民投票によって川田谷村が合流することとなる。なお余談だが、伊奈村は1村で独立となった。
 新上尾町は、昭和28年に新設された旧上尾町役場(写真2)を町役場とし、5カ町村の旧役場は支所となった。町長選挙までの間は、旧上尾町長である下里金太郎(写真3)が職務執行者を務めることになった。昭和30年10月1日当時の人口は3万5、707人、戸数6、426に上った。
(上尾市生涯学習課)

 

写真1 『上尾自治便り』第1号(現在の『広報あげお』)

写真1 『上尾自治だより』第1号(現在の『広報あげお』)

 

旧上尾町役場(昭和63年撮影。文化会館時代)

写真2 旧上尾町役場(昭和63年撮影。文化会館時代)

 

下里金太郎

写真3 下里金太郎

 

コラム 市制施行

 新上尾町誕生からわずか3年6カ月後、上尾町は上尾市となる。地方自治法の一部改正により、町村が市となるための特例処置として、昭和33(1958)年5月から9月末までの約半年間に限り、人口の条件が5万人以上から3万人以上に引き下げられた。これにより、埼玉県内では上尾町など5町が市制施行の対象となった。
 市制を必要とすることの理由として、次の四つが挙げられた。(1)近代的自治意識を高め、経済の安定、文化の振興を促し、行政能率の向上を目指し、もって住民福祉を増進する(2)首都の衛星都市として発展し、さらに工業都市としての実態を備え、市としての将来が期待される(3)周辺農村部は、農業経営の合理化を図り、農村経済を安定させるため、市制施行に大きな期待をもっている(4)高崎線の電化とバス路線の拡大によって、住宅建設が増加し、また、文化都市として内容を充実し、諸施設を建設する――ためである。
 こうして、昭和33年7月15日、埼玉県内で19番目に市制が施行された。初代市長には、下里金太郎が就任し、文化会館で祝賀式が開催された。祝賀アドバルーンや自動車パレードが開かれ、市内は祝賀ムードに包まれた(写真4)。今から58年前の夏のことである。

市制施行の祝賀パレード
 

写真4 市制施行の祝賀パレード