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上尾歴史散歩322 年越しと年取り ~正月行事の諸相~

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年12月27日更新

年越しと年取り ~正月行事の諸相~

 上尾市域の伝統的な正月の年中行事では、年越し・年取りという言葉がよく聞かれる。一般的に年越しといえば、暮れの31日であり、翌日の元日を年取りという。
年越し、すなわち大晦日には、現在、年越しそばを食べることが、一種、伝統的な常識のように捉えられている。しかし、かつての上尾市域の伝統的な年中行事では、年越しそばを食べるという伝承はなく、夕食には、白いご飯にけんちん汁を食べたものであった。当時の食生活では、通常の「ご飯」は麦などの混ぜ物をすることが前提であったため、米だけの「白いご飯」は、それだけでもご馳走だった。
 このように特定な日を定めて、特定の食事を作ることが年中行事の基本となっている。こうした特定の食事のことを「変わり物」といい、食事前には家の中の神仏に供えるものであった。この大晦日のご飯とけんちん汁も、神仏に供えられていた。
こうしたなか、仏壇には「おみたま」などと称して、小さな握り飯のようなものを12個作って供えた。これを供えた後は、正月三が日などの正月期間、仏壇に供え物をしないという。先祖祭祀の場である仏壇は、正月祝いとは相容れないという考え方もあり、この「おみたま」を供えることにより、正月期間は閉じてしまうという伝承すらあった。
 また、上尾市域では節分のことを年取りという。この日に多く行われる行事として豆まきがあるが、イワシの頭に大豆の枝を挿し、これを火で焼いた物を作り、家の出入り口の外側に挿す行事も行われる(写真1)。これを「焼きかがし」という。この「焼きかがし」を焼く際には、「麦の虫の口を焼く」「稲の虫の口を焼く」など呪文のようにつぶやいた後、唾を吹きかけてから、イワシの口を焼いたという伝承が多い。これを焼く火については、豆まきの大豆を炒る火を使った(写真2)。こうして年取りの行事を行った翌日が立春となる。
 上尾市域では、この他正月7日の七草を迎える前夜を「六日年越し」、正月15日のいわゆる小正月を迎える前夜を「十四日年越し」などともいった。このように、正月前後では、幾度となく年越し・年取りを行い、新たなる年を迎えたのである。
(上尾市生涯学習課)

写真1 焼きかがし       写真2 焼きかがし
写真1 焼きかがし(家の出入り口の外側に挿す)       写真2 焼きかがし(イワシの頭を焼く)

 

コラム ~1カ月遅れの正月~

 上尾市域の正月は、一般に「月遅れ」といって2月に行われた。正月が2月であるため、大晦日は1月31日、七草は2月7日ということになる。上記で「暮れの31日」とか「正月7日」としているのはそのためである。
 本来は太陽太陰暦(旧暦)を使用していたが、明治初期に太陽暦(新暦)に改めた。この改正によって暦の季節感が変わってしまった。このため、必ずしも正確ではないが、1カ月暦を遅らせることによって、歳時と季節感を一致させる努力をしたのである。これは他の歳時も同様で、現在でも盆は8月に行われている。本来、盆は7月15日であるが、現在は「東京の盆」などといわれ、伝統的な盆と一線を画している。

太陽暦と太陰暦
写真3 明治6年の太陽暦と太陰暦(須田康子家文書21461)