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上尾歴史散歩321 藤波の餠つき踊り~江戸時代から続くハレの芸能~

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年11月24日更新

藤波の餠つき踊り~江戸時代から続くハレの芸能~

 上尾市の北西部、藤波地区に伝わる民俗芸能である「餠つき踊り」は接待餠ともいわれ、かつては市域の中分下芝、井戸木、中妻、弁財、平方領々家、川、西宮下、菅谷などでも行われていた。
 江戸時代後期、名主の篠田金右衛門が当時流行していた博打をやめさせるために若い衆に習わせたのが、藤波の餠つき踊りの始まりといわれている。今では保存会が組織され、藤波一丁目から四丁目、中分五丁目の一部にあたる旧大字藤波地区の有志で伝承されている。
 現在、藤波の餠つき踊りは、藤波地区の鎮守である天神社で、元旦の午前0時から上演する他、市主催のイベントなどでも上演している。天神社での上演は、平成5(1993)年から行われるようになったもので、それ以前は定期的な上演の機会はなかった。本来、餠つき踊りは、神社の祭りなどで奉納する神事芸能ではなく、現在の七五三にあたる「オビトキ祝い」を行う家に呼ばれて行うものであった。その他にも、喜寿や米寿などの祝いの際などの「ハレの日」に披露していた。
 餠つき踊りは、実際に餠をつきながら踊る「餠つき」と、餠がつきあがった後の空の臼で行う「曲つき」がある。
 「餠つき」の演目は、ボーウチ歌に合わせて踊るグループの六人ボーウチ、四人ボーウチ(写真1)と、餠ころしを基本とするグループの、一本抜き、七五三、早づき、八人づきの二つのグループに分かれる。ボーウチ歌とは、この地域の主要な農産物であった大麦の脱穀の際に歌う作業歌で、桶川市では「麦ボーチ唄」として市指定の無形民俗文化財となっている。また、二つ目のグループの基本となる「餠ころし」は、4人が順番に「ホイト、ホイト」という言葉でリズムを取り、時計回りに移動してテンポを上げながら餠をつく演目である。
 餠つきに対して「曲つき」は、餠をつかずに空の臼の周りで演技をする。高度で複雑な動きをするため、これには餠つきのものと比べて一回り細くて軽い杵を使用する(写真2)。演目には、獅子追い、寝ずなどがある。いずれの踊りも、4人から8人のつき手のタイミングがぴったりと合わなければ踊りが続かなくなってしまうため、確かな技術がなければできない本物の芸能である。
(上尾市生涯学習課)

藤波の餠つき踊り(四人ボーウチ)     曲つきの杵

写真1 藤波の餠つき踊り(四人ボーウチ)                 写真2 曲つきの杵

地図   

コラム 藤波の足踊り

 「足踊り」とは、足に衣装をまとった演じ手が、仰向けになって足を上方に高く上げ、人に見立てて演じる民俗芸能である。かつて藤波地区でも、伝承者によって演じられていた。
 演じ手は、足首からつま先までを頭部、足首から上を胴体に見立てて足に衣装を着付け、衣装の袖から伸びた串を手で持ち、足や手を動かすことで、人形としての動作を表現する(写真3)。上演の際は、2人の演じ手がそれぞれの片足を用いて1人1役を担う。寝転がった所に張られた幕から足だけ出して、はやし手の唄や鉦などに合わせてさまざまな所作を見せることで、観客には人形劇のように映るのである(写真4)。
 藤波の足踊りは、昭和30年代に川越から伝わってきたものとされ、餠つき踊りの付属芸能として昭和40年代まで上演されたが、現在では、演技の伝承者もごく少数となっている。

足踊りの舞台裏  観客側から見る足踊り

写真3 足踊りの舞台裏                     写真4 観客側から見る足踊り