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上尾歴史散歩320 「神」の去来と民俗~恵比寿講と荒神様~

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年11月5日更新

「神」の去来と民俗~恵比寿講と荒神様~

正月の祝いや盆の供養などは、意味合いは変容しつつも、年中行事の一つとして伝承されているが、伝統的な地域固有の民俗行事は年々失われてきている。たとえば秋に行われる恵比寿講や荒神様といった年中行事は、今日行われなくなってきているが、日本の「神」観念を考える上で大変重要な行事である。
市内の伝統的な家の造りの中では、神棚の他に恵比寿様(写真1)、荒神様(写真2)を祀るのが一般的である。この他に仏壇や床の間などの祭祀空間もあるが、恵比寿様、荒神様は独特なイメージで捉えられてきた。
恵比寿様は、稼いでくる神様なのだという。普段はお勝手の戸棚の中(あるいはその近くの小さな神棚)に祀るが、恵比寿講といって毎年11月20日と正月の20日には、座敷に飾って、供え物をして祀るのである。正月の恵比寿講は出恵比寿講といって稼ぎに出て行く祝い、11月は来恵比寿講といって稼いで帰って来る祝いなのだという。要するに恵比寿様は、正月に働きに出て行き、11月に帰って来ると考えられてきた。
供え物は、尾頭付きといってサンマを1匹、山盛りのご飯、けんちん汁などと、かつての食生活を考えると豪華な供え物で饗応したのである(写真3)。しかし、稼ぎに出掛ける前の出恵比寿講では「あまり食べさせると働きに行かないから」などといって、来恵比寿講に比べて供え物も少し抑えた形にしたという。
一方で、荒神様はお釜様ともいわれ、竈の上に祀られる火の神様とされる。さまざまな伝承がある中で、総合すると古くから家の中心的な神様であったという痕跡が感じられる。この荒神様は、10月31日に出雲に出掛け、11月30日に帰って来るという伝承がある。
出雲に神が集まってしまい、神様がいなくなる月を神無月というが、上尾市域の場合は月遅れで年中行事が行われていたため、10月でなく11月が神無月なのである。また、出雲で荒神様は縁結びの相談をするのだという。このため、日頃から荒神様の管理を怠らないと良いところに嫁に行けるとか良い嫁が来るといわれてきた。また、出雲に行っている期間の中日である11月15日に、中通いといって荒神様が様子を見に帰って来るという伝承もある。
上尾市域の民俗伝承には「神」が去来する伝承が多い。これは上尾に限ったことでなく、全国的な傾向で、神に対する「観念」の一つの形態として定着してきたものである。去来する神という概念は、日本の民俗学を考える上で重要な視点の一つになっている。
(上尾市生涯学習課)

恵比寿様大黒様   荒神様

写真1 神棚に祀られる木彫りの恵比寿様(右)       写真2 竈の上に祀られる荒神様(右上)
     と大黒様(左)     

恵比寿講での供え物

写真3 恵比寿講での供え物

 

コラム 「ユネスコ無形文化遺産・奥能登のあえのこと」と恵比寿講

平成21(2009)年、ユネスコの無形文化遺産に「奥能登のあえのこと」が記載された。昭和51(1976)年に国の重要無形民俗文化財に指定されたこの行事は、輪島市、珠洲市、穴水町、能登町といった広域な地域で行われてきた。
稲の生育を見守る田の神を祀る行事で、毎年12月に収穫の感謝のために迎え入れ、2月に豊作を祈って田の神を送り出すために行われる。その際には、目に見えない田の神様を、風呂に入れたり食事を供したり、あたかもそこに実在するかのように振る舞う。これは稲作中心の日本人の基盤的生活の特徴を、典型的に示す農耕儀礼として重要であるとされている。
恵比寿講でも11月には収穫感謝で迎え入れ、正月には豊作を祈って送り出す。また、あたかも実在するような振る舞いは少ないものの、豪華な食事を供えてもてなすなど基本的な構造は同じである。
このように去来する神を饗応する考え方は、根底に日本の稲作文化がある。恵比寿講もあえのことと同様に、日本の基盤的生活の特徴の一典型として考えることができる。